

九州が誇る銘茶地、嬉野。
日本茶のルーツ、佐賀・嬉野。
日本のお茶の栽培は、1191年臨済宗の開祖栄西禅師が佐賀県の東背振村の山腹に宋の国から
持ち帰った種をまいたのが始まりと言われています。
日本茶のはじまりにほど近い、嬉野茶の歴史をご紹介します。
嬉野茶づくりの歴史

室町時代から続く、
伝統の釜炒り茶。
職人の手ざわりが
紡いだ、味、香り。
「釜炒り茶」発祥の地とされる嬉野町は、1504年に陶工である紅令民が明から釜を持ち込み、南京釜による炒り葉製茶法を伝えた事が、嬉野式の釜炒り茶の始まりとされます。
嬉野茶の生産は大半を「蒸製玉緑茶」が占め「釜炒り茶」は、嬉野茶全体の5%程と限られており希少性の高いお茶です。
生産量が少ないことから保存会もあり後世に受け継ぐ活動もなされています。
嬉野茶のシンボル、大茶樹。

樹齢360年の大古木が
嬉野茶作りの歴史と人をつなぐ
1648年から1651年に佐賀藩肥前白石郷の吉村新兵衛(1604~1657)が自らの当地(嬉野町不動山地区)を開墾(かいこん=山林を切り開くこと)し、茶種を蒔き栽培するとともに、南京釜の製法を改良し近隣に広めるなど、茶業の振興に努めたことが、一大産地となった嬉野茶(うれしの茶)の始まりと言われています。
現在、吉村氏が蒔いた茶樹と伝えられる大茶樹が不動山・皿屋谷に残存しており、樹齢360年以上と推定され、これほど大きな茶樹は世界的にも珍しいと、大正15年に国の天然記念物に指定されています。